2023年08月05日(土) 「イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行ない、 ご自分の栄光を現わされた。それで、弟子たちはイエスを信じた。」 ヨハネ2:11
「イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行ない、 ご自分の栄光を現わされた。それで、弟子たちはイエスを信じた。」 ヨハネ2:11
主が、カナで結婚式に出席、その時にぶどう酒が無くなった。ぶど う酒が途中で無くなるとは、主催者側の大変な失態で、そこで主は みわざをされた。手伝いの者たちに80〜120リットルの水がめ6ヶに、 水を汲ませ、その水をぶどう酒に変えられたのだ。彼らにしてみれ ば、必要なものはぶどう酒なのに、なぜ水を汲むのか。意味もわか らないまま、主が言われた通りに水を汲んだ事だろう。 その水が、見事に素晴らしいぶどう酒に変えられた。世話役や出席 者たちは、何も知らないまま最高級のぶどう酒を味わい、楽しんだ。 しかしそこに神を認めることは無く、神への感謝も無い。だが弟子 たちは違った。主をじっと見ていた弟子たちは、それが主の驚くべ きみわざだと知っていたので、「それで、弟子たちはイエスを信じ た」。 日々主は、私たちの日常生活で、働かれ、みわざをされている。し かしそこに主を認める事が無ければ、それはただの偶然で、ラッキ ーで、たまたま運が良かっただけで終わる。主を讃える事も、主に 栄光を帰する事もない。私たちはどうだろう。日々、主のご愛や配 慮を認める事なく、一つ一つの出来事を当然の事、偶然として、流 していれば、世話役や出席者と同じになる。 感謝が無く、感謝が無ければ、不満しかない。弟子たちのように、 この1日に、弟子たちのように、主を見ていよう。主に焦点が合っ ている時、多くの感謝を見つけ、祈りの答えを見つけ、新たに主を 知り、更に喜びが増す。 ・・・・・・・・・ 毎日の信仰生活で、どうだろう。主は、様々な時と場面で、無機質 の水を、喜びと楽しみのぶどう酒に変えて下さっている。神視点に 立つ時に発見させて下さる。一つ一つの喜びと感謝を見つけられる よう祈っていよう。