2023年10月05日(木)

「さあ、食事の用意ができました・・何もかも整いました。どうぞ宴 会にお出かけください」マタイ22:4



王が、王子の結婚の祝宴を設けた。ところが招待していた客を呼び
に行くと、皆、来たがらなかった。それで再度、別のしもべを遣わ
した。何もかも整ったので、さあどうぞと。だが彼らは気にもかけ
ず、畑に、商売に出て行き、更に他の者たちは王の使いを殺してし
まった。王は怒り、兵を出して人殺しを滅ぼした。

彼らは、神の事、永遠の事より、今の地上の事がすべてだった。
王や祝宴などどうでもよかった。重要で大切なものが、畑、商売、
この世の事だった。そこで王は、大通りで出会った者を誰でも招く
よう命令した。出会った者を皆集めたので、宴会場は満員になっ
た。だが、そこに婚礼の礼服を着ていない客が一人いた。王によ
り、暗闇に放り出された。

大通りで、突然呼ばれるわけで、誰も礼服など持ちあわせていな
い。この礼服はすべて主催者側で用意されていた。だから放り出さ
れた客は、王の礼服を、故意に拒否した事になる。彼は、通りで招
かれ、招きは拒まず、やって来た。だが、王の前に出る「礼服」は
拒否した。「招待される者は多いが、選ばれる者は少ない」と。

主からの礼服、つまりキリストの救い、神の愛、義とされること、
永遠の命を不要と拒み、自分の服で、自分を着飾る。自分の功績、
自分の力を捨てず、自分の行ないで、認められようとする事だ。神
より、自分の考えを正しいとする事だ。私たちは、礼服を、主の救
いの衣を着て、従って行こう。そして祝宴の溢れる喜びと楽しみ
に、大きな恵みにあずかろう。
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主の大きな恵みがあるのに、自分の考えでしか事をはかろうとしな
い。この恵みを深く知る者となりたい。自分では用意することので
きない礼服を全ての人に与えてくださっている。