2023年11月04日(土)

「イスラエル人はこれを見て、『これは何だろう。』と互いに言った。 彼らはそれが何か知らなかったからである。モーセは彼らに言っ た。『これは主があなたがたに食物として与えてくださったパン です』出エジプト16:15



苦難の中にいたイスラエルの民は、主の偉大な奇跡により、出
エジプトを果たした。「主に向かって歌え。主は輝かしくも勝利を
収められ」と主を讃え、大いに喜び踊った。だが荒野に出て、3
日間歩いた途端、「水が無い」とのつぶやきに変わった。次には、
食べ物が無いと不平不満をモーセにぶつけた。エジプトで死ん
だ方が良かったとまで言う。

主はそれに答えられ、天からマナを降らせ、夕にはうずらの大
群を降らせられた。このマナは1日分だけと命じられた。従わず
に、朝まで残しておくと、虫がついて腐った。朝ごとに、各自食
べる分だけ集め、残ったものは、日が高くなると熱くなり溶けた。
主は「朝ごとに」「各自」「食べる分だけ」と定められた。

どうだろう。1日分だけと言われても、密かに明日の分も、明後
日の分も、集めるだけ集めたい・・もし、翌日降らなかったらど
うするのか?主を信じられなかったら、そうしてしまう。しかし主
は、来る日も〃、荒野の40年間、毎日〃マナをもって養われた。
これは自分でなく、主によって生かされているという事実を心身
をもって知らせようとされた。

「神が私を生かして下さっている」「私は神により生かされている」
これを心底知る時に、思い煩いから解放される。日々、様々な
形で、主に信頼し、御声に従う訓練が、私たちにも臨んでいる。
信じようとしないなら、いつまでも主を知ることがない。御声に、
言われた通りに一歩意志を向けて、従ってみよう。 

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主を信じないと、翌日降るかどうかわからない不安で、取っておく。
すると、ずっと心配と思い煩いを揺れ動くままだ。自分の内の、
主の言葉を信じる事を妨げているものを、照らされるよう祈り、
一歩一歩取り扱い導いて頂こう。