2023年12月04日(月) 「それは、あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を 守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった」 申命記8:2
「それは、あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を 守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった」 申命記8:2
「主は、あなたを苦しめ、あなたを試み、あなたを飢えさせ」とあ る。信仰人生で、私たちは誰しも、様々な苦しみを経験する。それ は主によるものであり、主が苦しめるのだと。信仰者は、悩み苦し みに会うと、戸惑い、いぶかる。「なぜ、こんな事が」「どうし て、私に」主は、祝福して下さるはずではないのか。 病気にならず、健康を与えて下さり、経済的には満たして下さり、 良いものを与えて下さるのでは。しかも最善のものを下さるはずな のでは。そんな思いがあるだろうか。しかし現状では、様々な状況 を見る。病気が奇跡的に治る人もいれば、生涯、病を負ったままの 人もいる。非常に裕福な人もいれば、極度に貧しい人もいる。その 中で、主はあなたが飢え、苦しむ時は幸いだと言われる。 なぜなら、その時こそ、主を深く知り、天からのマナを食する恵み にあずかるからだ。対人関係、経済的、環境的等が、問題なく「安 定」している時、人は主を求めない。求めなくとも、やって行ける からだ。その「安定」が崩される時、人は、初めて目に見えないも のに目を向け、見えないものを求め始める。ある夫婦に生まれた子 どもが、命に関わる重度障がいがある事が判明した。その時、夫婦 で悩み、絶望の淵に突き落とされた。 しかしその苦悩のゆえに、見えないものに、目を向けるようになっ た。結果的に、夫婦共に、神に出会う事ができ、感謝に溢れ、平安 と喜びが与えられている。もしこの試練が無かったなら、神に目を 向ける事など絶対に無かったであろうと。試練の時こそ、神を真に 知る時だ。御言葉が、いのちそのものである事を経験的に知り、御 言葉によって生きるという事を学んで行く。 -------------- 問題だけに目がいき、すぐに希望が見えなくなる者だ。感情に流さ れそうになるが、祈りのうちに主が最も近くにおられると感じる。 試練の中を主の平安に包まれる。何と感謝だろう。