2024年03月05日(火)

「蛭にはふたりの娘がいて、『くれろ、くれろ』と言う。飽くこと を知らないものが、三つある。いや、四つあって『もう十分だ』と 言わない」箴言30:15



「金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、愚かで、有害な多
くの欲に陥る」とあるが、金持ちになりたがると、富を幾ら持って
も、決して満足する事がない。幾ら得ても飽くことなく、更に欲す
る。底なしだ。これは富の問題ではなく、「貪欲」という欲望の問
題だ。どれだけ必要が満たされていても、決して満足する事がな
い。

どこまでも富を欲して行く。貪欲の罪だ。蛭の娘がどこまでも、果
てしなく「くれろ、くれろ」と言い、欲望には際限がない。「金持
ちになりたがる」とは、富だけでなく、名誉、地位、人からの賞
賛、野心、人の上に立ちたいとの欲だ。ここに誘惑とわながある
と。絶えず隣人のものを欲しがり、比較しては満たされない心で、
常に欲求不満に陥る。

しかし、主を見上げる時にどうだろう。私たちは何一つ持たずに来
て、何一つ持たずに去る。今、生かされている事が、感謝ではない
だろうか。主は、何も、いっさい思い煩うな、と言われる、主の愛
に囲まれ、必要は必ず備えられ、日々に生きる喜びと平安が与えら
れている。満足は、主からのみ来る。

自分の欲望が満たされ、願いが叶う事が幸せだと思うが、そうでは
ない。決して心は真に満たされず、渇くばかりだ。そうでなく主に
自分を明け渡して行く時に、御霊に支配される。その時、真の心の
満たしを経験する。満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受
ける道だ。
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主のいのちによって与えられた信仰人生、豊かに恵みを備えていて
くださる主を喜んで歩みたい。目の前の物にあれもこれもと反応し
欲の目で見る時には気づきたい。主を喜び歩みたい。