2024年04月04日(木) 「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪 を犯してはなりません。」ヨハネ8:11
「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪 を犯してはなりません。」ヨハネ8:11
パリサイ人たちによって、姦淫の場で捕らえられた女性が、主の前 に引き連れて来られた。それは主を試し、攻撃し、追い詰めるため であった。もし姦淫の女性を赦すなら、律法に違反する事になる。 しかし、もし律法に従うなら死刑だ、ならば主が説いている愛やあ われみはどうなるのか。 問い詰めるが、主は、その問いには答えられず、「あなた方のうち で、罪のない者が、最初に彼女に石を投げよ」と言われた。すると 年長者から去り、人々は次々と去り、結局、誰もいなくなって、主 と女性だけが残った。つまり彼らは、皆、良心に触れられ、自分の 罪がわかった。だが、罪を認めたくなく、向き合いたくないので、 主のもとから逃げた。 その女性だけは逃げずに、そのままそこにとどまっていた。皆から 何もかもを暴き立てられ、もう恥辱にまみれたボロボロ状態だ。隠 すことも出来ないというよりも、隠すものすらない状態だ。もう裸 そのものだ。そんな彼女は、砕かれてきっていた。 砕かれた心で、自分を断罪されない、自分を受け止めて下さる主 を、信じた。すると「わたしもあなたを罪に定めない」との主の赦 しを受けた。女性は罪が完全に赦され、「わたしに従う者は、決し てやみの中を歩むことがない」光の中を歩んで行く者とされた。 正しいパリサイ人たちは罪を認めず、闇の中におり、罪深い姦淫の 女性は罪赦され、闇から光に移され、光の中を歩んで行く。まさに 対照的だ。罪が照らされる時、非常に痛いが逃げずに認めよう。光 の中を歩み続ける者とされる。 ------------ 罪に目を背けていると主の赦しも受け取れない。ボロボロの状態で 隠さず御前に出たい。そこに主がおられ十字架がある。幾つになっ ても新しくされるとは、何という幸いだろう。