2024年05月05日(日) 「もし、罪を犯してはいないと言うなら、私たちは神を偽り者と するのです。神のみことばは私たちのうちにありません」Tヨハ ネ1:10
「もし、罪を犯してはいないと言うなら、私たちは神を偽り者と するのです。神のみことばは私たちのうちにありません」Tヨハ ネ1:10
時に、こういう事があるだろうか。心に妬みや憎しみがあるのだ が、それは決して外に出さず、相手にも向けないで、心の内で我 慢し抑え込む。外に出さないのだから、自分は良い人ではないか。 これは信仰者にもあるだろうか。様々な罪の思いを内に抑え込む。 出さないので、対人関係のトラブルは無い。そのため周囲の皆に 良い人だと言われる。しかし内側、煩悶状態だ。 しかし長年良い人だと言われ続けると、自分が自分に欺かれ、自 分は良い人だと勘違いしてしまう。御霊は、そうではない、良い 人ではないと、示され続けるが、自分で良い人間と信じ込むので、 何を言ってるのかわからない。これは信仰が機能しなくなってし まう。別の場合は、信仰者が罪の思いを持ってはならないと、思 いを抑え込んでしまう。 抑え込むが、もぐら叩きでこっちから、あっちから幾らでも出て 来る。尚もそれを無理に抑え込んでいると、いつか爆発する。信 仰とはそうではない。自力で悪い思いを抑え込むのでなく、思っ ていない振りでごまかすのでなく、又、弁解や言い訳に終始し、 絶えず自己正当化するのではなく、それが自分の思いである事を、 あるがまま認め、告白し、そのつど主に渡して行こう。 それをずっと繰り返し続けて行く時、常にありのままでおれて、 且つ。主が変えて行って下さる。「あくまでもそれを続けなさい」 続けて行こう。自力でなく御霊によって、変えられて 行く自分を、必ず見い出す。 ・・・・・・・・・・ 自分でどうこうせず、まずありのままの負の思いを主に告げよう。 自分に欺かれる事から守られる。又、自分には出来ない事も、そ のまま告げよう。その時に、主が成し遂げて下さることを、一つ 一つと身をもって経験して行く。