2024年10月05日(土)
「この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によっ てでもなく、ただ、神によって生まれたのである」ヨハネ1:13
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新生した私たちが「神の子」である事の根拠は何だろう。善行,
良い態度だろうか。信仰的で霊的だから神の子なのだろうか。
御言葉にきちんと従っているから、神の子なのだろうか。だが
霊的クリスチャンで、成長しているから神の子なのではなく、主
イエスを信じ、新生した瞬間にすでに神の子とされた。
母親から生まれたから、その子どもであるように、神から生まれ
たから、神の子だ。これは教えの問題でなく、生まれの問題だ。
生まれ出たので、母親のお腹には戻れない。そして雇い人な
ら、主人の財産を相続する事はないが、子どもは、親の財産を
相続する。私たちは、親である神の相続人だ。すべてのものを
相続する。キリストとの共同相続人だ。
何という恵まれた地位にいる事だろう。放蕩息子の箇所で、父が、
怒る兄息子に「私のものは、全部おまえのものだ」と言われた。
御父と私たちは、労使関係でなく、無条件で愛される親子関係だ。
そして、子であるなら親に似て行く。聖くなる事を求めて行く。キリ
ストにとどまる者は、罪の内を歩まないとある。
これは、全く罪を犯さないという事でなく、弱さのゆえに罪を犯して
しまうが、故意に犯し続けないと。罪を犯すと、心が辛く苦しくなり、
犯し続ける事ができない。神の種がその人のうちにとどまってい
るからと。神の種は、神の言葉だ。神の言葉が心の内にととまる
時、罪を犯し続ける事から守られる。神の子にされたという事は、
何という、驚くべき恵みであり、特権だろう。
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一旦生まれたなら、二度と母体には戻れない。血統でなく、自分
の意志や欲求でなく、神によって新生したとは、何と驚くべきこと
で、何という喜びだろう。そして雇用関係でなく、親子であり、すべて
を相続する、愛されている子どもだ。
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