2025年02月02日(日)

「・・御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます」 Tヨハネ1:7



草抜きをする時にどうだろう。根っこから抜けばよいのだが、なか
なか大変だ。そのため浅く抜いて、何とかきれいにしようとすると、
又、すぐに草がはびこる。根があるからだ。霊的生活も同様だ。
根がある限り、悪い実がなり続ける。根は隠れていて、表からは
見えない。心に潜む様々なものはどうだろう。「苦い根が芽を出し
て悩ましたり・・」とあるように、憎しみ、妬み、赦せない思い、裁く
思い、悔い改めていない罪だ。

その苦い根があると、その根から悪い実が結実する。表面を信
仰者らしく、整えようとするのだが、いつも同じ問題で、つまずい
ているだろうか。まず、その事を主のもとに持って行き、根っこの
部分を、御霊に探っていただこう。ある人が、自分も相手を傷つけ、
相手からも傷つけられた対人関係を、根っこに持っていた。

恨んでいて、赦せない思いがある。平安が無く、心は辛い。この苦
い根を主の御前に出て、ことごとく打ち明け、祈った。その時に照ら
された。相手を幾らでも責めるが、自分の側の非は言い訳し、正
当化している事に気づかされた。アダムやエバのように、こうなっ
たのは相手のせい、相手が悪いと。心の底では、自分は悪いと
思っていない。

この自分の姿を認めて、心から悔い改めた。「もし、私たちが自分
の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、
すべての悪から私たちをきよめてくださいます」。その時、心に安
堵が来た。そして光に照らされ、自分の醜さを認めた時に、不思議
に相手の弱さを赦すことができた。御霊の働きであった。心に苦み
がある時は、まず主のもとへ行こう。ありのままの心を告げよう。
主が取り扱い、導いて行って下さる。

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何か心に平安が無い時、心が重い時、時間を取って主と交わろう。
自分では全くわからない場合もあるし、うすうす気づいている場合
もある。何か苦みがあるかもしれない。思い煩いかも知れない、御霊
は導いて下さる。常に平安の道筋へと、手を取り導いて下さる。