2003年05月05日(月)

「私は黙っていたときには一日中、うめいて、私の骨々は疲れ果てました。それは、御手が昼も夜も私の上に重くのしかかり・・」(詩篇32:3)


 犯行を犯して、何年、何十年と逃避行をする犯人が
いる。一つ所に留まる事もできない。一時も安らぐ事
がない毎日だ。神経を研ぎ澄ましていなければならな
い逃避行が長くなると、もう休みたい、捕まりたいと
の心理が生じるそうだ。ダビデも自分の罪に向き合う
事を拒み悶々とした心の内を記している。
なぜ、私達は神の前に隠れようとするのか。
神にも自分にも隠れようのない事がわかっているのに。
罪は恐れを生じさせ、神の前から逃げる。アダムとエ
バもそうしたように。しかしダビデは勇気を持って自
らの罪を認めた。
「私のそむきの罪を主に告白しようとすると、あなた
は私の罪のとがめを赦されました」罪には赦しがすで
に備えられている。それを認め告白しさえすれば。