2003年12月04日(木)

『そこでピリポが走って行くと・・「あなたは、読んでいることがわかりますか」と言った』(使徒8:30)


 長年クリスチャン生活を送ると、多くの
クリスチャンが「習慣」に陥ってしまう。
習慣で礼拝に出席し、習慣で聖書を読む。
そこにはなんの感動もない。そうしていれ
ば心を安穏に保てるからかもしれない。
しかし、習慣なら何の意味もない。心が伴
なわないからだ。御言葉に自分が照らし出
されることもない。自分の真の姿を知るこ
とも、神を知って行く事もない。
霊とまことを持って主を礼拝し、自分の心
の内を照らし出されるように祈り、御言葉
を行おうとの真剣な態度で聞く時、必ず語
って下さる神に触れる。
漫然と聖書を読むのではなく、祈り心で御
言葉に向かおう。聖霊は必ずわかるように
助けて下さる。御言葉に生きる者となろう。