2004年04月03日(土)

「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました」(詩篇119:71)

ある、神を信仰している敬虔な両親の娘が病で亡くなった。周囲の心ない人々は、信仰しているのに、どうしてこういう事が起こるのか、神が愛であるなら、なぜなのか、神は全能ではないのかと、疑問を投げつけた。しかし、両親は答えた。娘の事で、神を非難した事は一度もない。娘は今、天の御国におり、御父に抱かれて安らぎの中にいる事に慰められている。娘の長い闘病生活を通して、家族は一つになり、家族の互いの関係は深められ、固い絆で結ばれた。そして家族が試練の中で神に近づき、神を更に深く知る者とされた。深い悲しみと苦しみを通ったが、神は耐える事の出来る恵みを与えて下さった。神は耐えられない試練は与えられない。
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苦しく、辛い状況が起きた時、神に焦点を合わせるか、自分を見るかで、天と地ほどに違って来る。自己中心からは、自己憐憫、屈折、愚痴、不満しか出ない。神の見方に立つ時、周りに神の栄光を輝かせる。必ず苦しみに会ったことは幸せだったと言える。