2004年09月02日(木)

「・・しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください」(マタイ26:39)


神は「求めなさい。そうすれば与えられます」と言って下さっている。しかし、もし二才の子供が母親と同じように料理がしたいと包丁をねだったら与えるだろうか。決して与えはしない。それが子供には危険だからだ。神も同様だ。
私達は自分の側しか見えないし、目の前の事しか見えない。これは絶対であり最善と思う。しかし、神は私達のすべてを見通しておられ、それを今持つと高慢になって滅びる事をご存知だ。それで与えられない。私達は自分を知らない者だ。神が与えて下さるものが常に最善。一見、不都合に見える事も最善。それによって砕かれ、練られ間に合う、有用な器と整えて下さる。神のみこころが最善。みこころに自分を合わせて行く事が最善。
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みこころが最善だ。自分の願いは、ただ肉が喜ぶだけのものかもしれない。神様のみこころがどこにあるのか、みこころに従えるようにと、常に祈り求めて行かなければならない。