2001年05月05日(土) 「私は自分の誇りをだれかに奪われるよりは、死んだほうがましだからです」(Tコリント9:15)
「私は自分の誇りをだれかに奪われるよりは、死んだほうがましだからです」(Tコリント9:15)
パウロは金のために主に仕えている と思われるよりは、死んだ方がまし だと語った。コリントで宣教する間 自分の手で稼いで生活したのもその ためだ。キリストの証し人としての 値打ちが下がるなら、死んだ方がま しだった。歴史を通して多くの人が 同じ信念を貫いた。主を否むより殉 教の死を貫いた。大抵の人は生きる か死ぬかの究極の選択を迫られる事 は無い。が、私達の生き方はそれな ら死んだ方がましだという信念を映 し出すべきだ。パウロの切なる願い は、恥じる事の無い一生を生き抜く 事だった。唯一望んだ事は牢から解 放される事ではなく、キリストのす ばらしさが自分を通して現わされる 事だった。そのパウロを通して、御 名を汚す行動を取ったり、家族の心 を傷つけていたり、信頼してくれて いる人を失望させたりするなら、む しろ死んだ方がましだ。キリストの 名を汚す事よりは死んだ方がましだ。