2006年03月05日(日)

「神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします」(Uコリント7:10)

御霊が働いて悔い改めに導かれる時、それ
まで悪いと思っていなかった事が、どんなに
恐ろしく、罪深いことかを見せられる。御霊
が臨まれると、それが罪であるとはっきりわ
かる。言い逃れも弁解も無い。相手も周囲
もいっさい見えない。それまでは、自分も悪
いが、相手も悪いと思っていたのが、そうで
はなく、ただただ自分の罪しか見えないのだ。
心底認め、悔い改めることができる。御霊
が悔い改めを与えられ、その罪は赦される。
心に平安が満ちる。世の悲しみはサウルの
罪への認識だ。「罪を犯しました、しかし、
私の面目を立てて下さい」と言った。世間
体が悪い、格好が悪い。神でなく自分の事
だけだ。口先だけの悔い改めなので、砕か
れる事も、赦される事も新たにされる事も
無い。御霊のみが真の悔い改めを与える
事ができる。
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サウルは、神の目ではなく、人の目を気に
した、そちらの方が大切だった。結局、自分
の面目を立てるための罪の告白でしかなか
った。人の目でなく、神を大切にして行ける
よう、祈ろう。