2006年06月03日(土) 「主は私の泣く声を聞かれたのだ。主は私の切なる願いを聞かれた。主は私の祈りを受け入れられる」詩編6:9
「主は私の泣く声を聞かれたのだ。主は私の切なる願いを聞かれた。主は私の祈りを受け入れられる」詩編6:9
ダビデはサウルに妬まれ命をつけ狙われる。 敵からも自分の息子からも狙われ、病にも 陥り心身絶体絶命の悲惨な苦境だ。ダビデ は神の心にかなった人だった。信仰者にな ると悩みが無くなるのではない。問題は必 ず来る。私達は苦しくてたまらず、とにか くその問題が去る事を願う。しかし、苦し みの中でこそ、神が神であられる事を身を もって知って行く。ダビデは「嘆きで疲れ 果て、涙で夜ごとに寝床を漂わせ」と、な すすべなく泣いて泣いて嘆いた。苦しみの 中でこそ、神との深い交わりに入れられる。 「主よいつまでですか、あなたは」と、あ りのままの気持ちを神にぶつけている。順 境の時には決して経験出来ない事だ。自分 で何とかしようともがき、走り回るのでは なく、問題をすべて神に持ち出せ。自分で 当たると空回りだ。心を注ぎ出し、気持ち を神に告げ神に寄りかかるのだ。神との近 い交わりを経験する。祈りは聞かれる。 ・・・・・・・・・・ ダビデは泣いた。苦しみ、悲しみの時は思 い切り泣けばよい。よく状況をくどくどと 主に説明して祈るが、状況など主はご存じ だ。状況でなく「気持ち」を主に告げる事 が大切だ。それが交わりだ。主に受け止め られた、平安が心に来る。