2006年12月05日(火)

「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして・・」ピリピ2:6 



人はプライドで生きている。男性
は自分の仕事や地位に、格別高い
プライドを持っている。母親は子
供に夢を託し、子供によって自分
のプライドを満たそうとする。
そんな時、愛しているのは実は自
分だ。大切なのは自分のプライド
と面子だ。様々な対人関係で、プ
ライドとプライドが衝突し、火花
を散らし、争い、怒りや憎しみが
起こる。プライドは神の中に自分
の価値を見るのでなく、自分の能
力や功績によって、自分の価値を
量ろうとする。それは順調に行っ
ている時は高慢になり、優越感に
浸り、うまく行かないと劣等感に
落ち込む。プライドは優越感と劣
等感を行き来して、心休まる時が
無い。パリサイ人は徹底してプラ
イドに生きた人達だ。彼らの正し
い行ないの動機は、愛ではなくプ
ライドだった。主は、プライドと
は何の関係もなく、徹底して愛に
生きられた。様々な事態でプライ
ドが砕かれ、へりくだった者とさ
る。今、問題があるだろうか。
プライドが砕かれるためではない
か。 
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どこまで行っても自分、自分。
私達は自分の中に良いものなど一
つもない。それを示される事すら
神様の憐みだ。神様から受ける愛
と力のみを誇りとして歩む者であ
りたい。