2007年06月04日(月)

「イサクはその地に種を蒔き、その年百倍の収穫を見た。主が祝福してくださったのである」創世記26:12



「先の飢饉とは別に、この国にま
た飢饉があった」との状況にあり、
飢饉の中で、イサクは種を蒔いた
のだ。作物が育つどころか、どん
どん枯れて行く状況での種蒔きだ。
外側を見ると、作物が育つような
状況では全く無かった。何のため
に蒔くのか。蒔いても種が無駄で
はないか。飢饉のまっただ中で何
が望めよう。しかし、その地に種
を蒔いた。イサクには信仰があっ
たからだ。見た目の状況ではなく
神を信じたのだ。そうでなければ、
種を蒔くことなど出来ない。見え
るところは、種も無駄、労力も徒
労だ。しかし、百倍の収穫を得た。
「主が彼を祝福して下さった」通
りに神の一方的な祝福だ。私達も
信仰によって進む時、大きな祝福
を見る。しかし、もしイサクが蒔
かなかったらどうだろう。「パン
を水の上に投げよ。ずっと後の日
になって、それを見いだそう」
「雲を警戒している人は種を蒔か
ない」「朝のうちに種を蒔け。夕
方も手を放してはならない」神は
祝福して下さる。しかし、私達の
側ではなすべき事をする必要があ
る。忠実に種を蒔く事が大切だ。
状況を見ていたなら決して蒔けな
い。見えるところでなく信仰によ
って歩もう。豊かに蒔く者が豊か
に刈り取る。あなたにも、今なす
べき事が示されているだろうか。
蒔かない限り、刈り取りは無い。
蒔いて祝福を刈り取ろう。
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自分の思いや気力なら、恐れや
不安で蒔く事は不可能にしかみ
えないだろう。しかし蒔かない
種に実は成らないのだ。主に助
けられ、励まされ、祝福を信じ
て蒔き続けよう。