2007年08月05日(日) 「キリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです」ヘブル9:26
「キリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです」ヘブル9:26
主は罪を取り除くために来られた。十字架 で流された血潮により、私達の罪を取り除 いて下さった。その十字架の贖いにより、 私達を全面的に罪無し、無罪放免として下 さった。その血は、私達の良心に注がれ、 罪を責め続ける良心をきよめた。「私たち は、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をき よめられ」もう自分を責める必要がない。 罪は完全に赦され、取り除かれた。罪無し とされた、何という恵みだろう。神は完全 に赦して下さっているのに、罪意識にさい なまれ、自分を責めていないだろうか。自 分を責めると必ず人を責める。これは表裏 一体だ。人をさばいて責める人は、必ず自 分も責めて苦しむ事になる。そこに「赦し」 がない。人から傷つけられると、赦さなけ ればならないと思いながら、抑え込み我慢 する。しかし、その怒りはそこにあるので、 必ず、別な所で爆発する。そして目の前の 別の人を傷つけて行く。キリストの血は、 私達の良心をきよめた。罪無しとされた。 そこに立って行く時、自らが100%の完 全な赦しを受け取る時、自分を責める罪意 識から解放される。全面的に赦された人は、 必ず人を赦して行く。 ・・・・・・・・・・ 赦しの無い世界は、苦しみと悲惨、裁きと 憎悪でがんじがらめだ。私達の一番の心の 願いは罪の赦しではないだろうか。赦され て、赦されて生きて行ける、罪無しとして 下さる、こんな恵みがあるだろうか。