2007年11月04日(日)

「ましてや神は、夜昼神を呼び求めている選民のためさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか」rカ18:7




この箇所の人は裁判官であり、神を恐
れず人を人とも思わない人物だ。裁判官
だという事は法律にそって裁くという事
だ。人格的にはこういう人だが、やも
めが余りにひっきりなしにやって来て、
うるさいから裁判をする事にした。こう
いう人でも、うるさいからの理由で裁
判をするのであれば、ましてや完全な
愛と完全な義をお持ちの神が、正し
い裁きをつけずに、放っておかれるわ
けがないという事だ。つまりこんな人格
の裁判官でもそうするのだから「まして
や神は」という事を言っている。とんで
もない人物を出して来て、神がどんな
お方であるかを対比させている。完璧
な愛と配慮を施して下さり、常に私達
の最善を考えて下さっている神なのだ
から、失望はあり得ないと。祈りの執
拗さでなく、祈る相手がどんなお方か
が問題で重要だ。神はすみやかに彼
らのために正しいさばきをして下さる。
「パン三つ貸してくれ」と執拗に頼み続
けて、パンを得た人も、友達だからでな
くしつこさゆえに勝ち取った。ここでも、
「ましてや父である神は」子だから良い
物を下さると言っている。御子を賜うほ
どに愛し最善をして下さる神だ。あなたの
「その祈り」、いつまでも「その事を」放
っておかれるだろうかと。何と励ましだ
ろう。切なる祈りに目を留めていて下さる。
・・・・・・・・・・
この裁判官はうるさくて仕方がないから
片を付けた。神は違う。うるさいからで
なく、極みまで愛して下さっているから
答えて下さる。長い間の「その祈り」も
必ず義と愛ゆえに片を付けて下さる。
失望する事なく信頼して祈り続けよう。