2007年12月05日(水)

「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」ヨブ1:21

サタンはヨブを攻撃した。しかし、
それは、神の許容範囲内であった。
神がサタンに命じられた。「持ち物
は許可する。しかし、身体は許さな
い」次には「身体までは良い。しかし、
命には触れるな」神の定めた限界
内でしかサタンも働けない。サタンが
どう攻撃して来ようと、最終的権限
を握っておられるのは神だ。つまり
目の前に起こる一つ一つの事が神
から来ている。偶然や不運ではない。
人があなたを批判し、敵対しているか
も知れない。目に見える状況に反応
すると相手への憎しみ、敵対心が
湧き上がる。不満と反発心で一杯
になる。しかし、それなら的はずれだ。
人しか見えていない。その背後に
おられるのは神だ。そうであれば対応
が違ってくるはずだ。サタンは私達に
攻撃して来る。しかし、主権者であ
られる神は、サタンすら私達の益の
ために、成長のために利用される。
すべての最終的主権は神にある。
だからヨブは主が与え、取られたと
告白した。それを認める事、受け入
れる事が信仰だ。ヨブは、それらに
神の主権を認め、ひれ伏し、礼拝
した。主を賛美し、御名を崇めた。
どんな状況でも主の御名を崇めて
行く事、これは感情でなく、信仰だ。
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感情はすべてを持って反対を向いて
いても、痛みの中で、神に信仰を向
けて行く時、不思議な御霊の領域が
ある。厳しい状況のまっただ中で心
に主の全き平安を経験する。