2008年05月05日(月)

「私はあなたのおいでになる所なら、どこにでもついて行きます」ルカ9:57


ここに3種類の主に従おうとする人々
が出て来る。一人目は、神の言われる
ことに何でも従い、行かれる所どこへ
なりとも従いますと言った。しかし、
主は狐には穴があり、空の鳥には巣が
あるが、人の子には安心して住める家
も定まった場所も無いと言われた。つ
いて来るというが、厳しい苦労があり、
大きな犠牲が伴う。それなりの覚悟と
決心が必要であり、それがなければ、
こんなはずではなかったと、すぐに挫
折してしまう。二人目は、神からの明
確な示し、導きがあるに関わらず、ぐ
ずぐずしている。従おうとは思ってい
るがその前にあれをしてこれをしてと、
結局従うことの無期延期だ。最終的に
は従えないまま終わる。すぐに従わな
いで、常に言い訳や弁解をしている
人々だ。三人目は、主に従うことに心
を定め、決心をしていた。しかし、後
ろを振り返る。捨てたつもりのものに
未練がある。後ろの橋を焼き捨てるこ
とができない。その未練は神の国にふ
さわしくないと言われたが、捨てるべ
きものへの思いが断ち切れない。結局
従えない。主に従わせないよう、妨害
してくる様々なかせがある。いい加減
な中途半端な気持ちでは、途中で挫折
する。自分を捨てて従う道だ。主に示
されているのに、ぐずぐずと言い訳に
終始していないか。
・・・・・・・・
私には出来ない、そんなに何もかも捨
てて従えない、その理由は何だろう。
まず神様に訴えてみよう。みこころの
ままに与えて下さった志だ。必ず神様
が成し遂げて下さる。