2008年06月04日(水)

「ルツは・・落ち穂を拾い集めたが、それは、はからずもエリメレクの一族に属するボアズの畑のうちであった」ルカ2:3

ルツは、夫の死後、自らの実家へ帰るように
との、姑ナオミの強い勧めにも関わらず、ナ
オミについて、ベツレヘムにやって来た。そ
れは「あなたの神は、私の神」と、ナオミの
背後の、まことの生ける神を見ていたからで
あった。戻ったが、生計を立てねばならず、
ルツは落ち穂拾いに出ることを申し出た。ナ
オミの了承のもと「たまたま」入った畑が、
ボアズの畑であった。しかし、この背後に神
の大いなる御手が働いていて、神の摂理のも
とにあった。やがてルツの真摯に働く姿がボ
アズの目に留まり、ボアズの親切と好意を受
けることになる。そして、最終的には結婚に
導かれる。これらすべての事が、背後にある
神の導きであり、ご計画であった。神に立ち
返ろうとナオミが決心し、行動を起こした時
が、「たまたま」大麦の刈り入れの始まった
時期であり、ボアズの畑にいると、普段は来
ないボアズが「たまたま」やって来て、ルツ
と出会う。すべてがパズルのようにつながっ
て行く。私たちの信仰人生も同様だ。大いな
る御手の支配の中に置かれている。今置かれ
ている場、出会う人々、目の前に与えられた
仕事、起こる出来事、一つ一つが「たまた
ま」「はからずも」の積み重ねだ。それら一
つとして偶然は無く、神が目的と意図を持っ
てそうされたのであり、ご計画だ。そこに視
点を向ける時、大いな御手を見、大いなる愛
に出会う。
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一羽の雀さえ、父の許しなければ地に落ちず、
一つの偶然もなく、人生のいっさいがっさい
が、完璧な御手の内とは、何と平安だろう。主
の愛に包まれている。一歩先しか見えないが
ご計画を信じている事ができる。