2008年10月05日(日)

「求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです」ヨハネ16:24


御言葉によると、神は私たちが「お願
いする先に、必要なものを知っておら
れ」そして「私たちの願うところ、思
うところのすべてを越えて豊かに施す
ことのできる方」であり、私たちの
「必要をすべて満たしてくださる」方
だ。であれば、祈らなくても、備えら
れているのでは、と思ってしまう。し
かし、神は御言葉によると、すでに備
えられているものを「求めなさい。そ
うすれば与えられる」と言われる。
「求めなさい。そうすれば受ける」そ
して、「喜びが満ち満ちたものとな
る」と。すべての必要を備えていて下
さるが、受け取るために祈りを手段と
されている。それは喜びが満ち満ちる
ためだと。神がまことに生きておられ
る事を、私たちが知るためだ。もし自
分にせっぱ詰まった必要があり、誰に
もいっさい言わずに、神にだけ告げて、
それが見事に与えられたらどうだろう。
誰にも告げておらず、誰も知らないの
だから、まさに神からの答えであり、
直接、神と自分との関係の中での出来
事だ。これがどうして喜びが満ち満ち
ずにおれよう。ある人は生活の必要を、
ある人はこじれた問題を、他言できな
い悩みを、解決された様々な数え切れ
ない証しを聞く。あなたの今の問題を
神に祈ろう。神から答えを頂き、あな
たは喜びに満ち満ちる。
・・・・・・・・・
神にだけ拠り頼んでみよう。望みを神
に置き、必要を、願いを、誰にも言わ
ずに神にだけ告げ、神を待ち望もう。
神と自分との関係が深められ、喜びが
満ちる。