2008年12月05日(金) 『「神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた「あなたはどこにいるのか」』創世記3:9
『「神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた「あなたはどこにいるのか」』創世記3:9
アダムとエバは、エデンの園で、神が取って食べるな、必ず死ぬと言われた 「善悪の知識の木」の実を食べた。すると、目が開かれ、自分たちが裸であること を知った。そこで、互いに腰におおいをつけた。 そして、神の御顔を避けて、園の木の間に身を隠した。 罪を犯した後、彼らは神から隠れた。私たちもどうだろう。本当の自分の姿を隠 しているだろうか。 神にも人にも決して見せないで、おおっているだろうか。 悩みが問題なのでなく、神に「隠す」ことが問題だ。 又、自分にある問題を直視したくないので、逃げて避けて、ふたをしているだろうか。 余りにも痛くて辛いので、なかった事にしてしまおうとしているか。 問題や痛みはふたをしておけば、いつか自然消滅すると思いたいが、決して消える 事はない。 ずっとそこにあり続け、むしろ膿と同じで、ますます悪化する。 解決は、その痛みを神のもとに持って来る事、光の中に出す事だ。 暗闇にあるものを光の中に持ち出す時、明るみに引き出されるものは、みな、光によって明 らかにされ、明らかにされたものはみな、光だ。暗闇が光とされる。 神の御前に、自らの姿を認める時、神が癒して下さる。 あなたはどこにいるのか」神の御前に立とう。 「真理を行なう者は、光の方へ来る」神に癒しと解決がある。 --------------------------- 私には何の問題もなし、としているなら、いつの間にか闇と光の区別もつかなくなる。 闇が示される事が感謝。一つ一つ闇を御前に持って行き、光と変えてもらおう。