2025年08月03日(日) 「私が何かを赦したのなら、私の赦したことは、あなたがたの ために、キリストの御前で赦したのです。これは、私たちがサ タンに欺かれないためです」Uコリント2:10
「私が何かを赦したのなら、私の赦したことは、あなたがたの ために、キリストの御前で赦したのです。これは、私たちがサ タンに欺かれないためです」Uコリント2:10
ある人の証しだ。学生時代、友人たちと口論が、喧嘩となり、 中傷され、悪口を言いふらされ、ひどく傷ついた。悔しく赦せな い思いでいっぱいで、憎んでいた。卒業後、彼らとは会う事も 無くなった。自分は努力し、頑張って〃生きて来た。だがその 動機は、絶対に彼らを見返したい、勝ちたい。その一念だった。 執念深く恨んでいた。懸命に努力したが、そこに喜びは無か った。相手が目の前におらずとも、恨みが残るなら、距離は関 係無く、ずっと囚われの身だ。自分も、自分の人生も、その相 手にコントロールされている。思いに上っては、心に影を落とす。 やがて時を経て、教会に通うようになった。 御言葉を学び、祈って行く中で、確かに相手はひどいし、悪いが、 だが自分にも非があった事に、初めて気づかされた。今までの 頑張りの動機が間違っていたことも照らされ、自分の憎しみや 恨みが、自分自身を苦しめている事、がんじがらめにされている 事も知らされた。 そしてそれらは罪であり、自我から来ていることを教えられた。絶 対に赦さない強固な自我だった。自分の姿が見せられた。この悶 々状態、苦しみから自由にされたいと思った。自分が相手を赦す ことが、自分の解放だった。感情はどうであれ、意志で赦すことを 選択したいと思えた。もう終わりにしたい。心から悔い改めて、赦 しますと意志を主に向けた。人を赦せない思いは、サタンのわな であり、策略だと言っている。主の助を仰ごう。自由にして下さる。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 人を赦すことは困難だ。人間の力では出来ない。肉で何とかし ようと悪戦苦闘する。しかし出来ない。主にありのまま「出来ませ ん」と認め、主に拠り頼む時、御霊の力によって、可能にされる。 「人にできない事が、神にはできる」。