2001年09月02日(日) 「人々が私に「さあ、主の家に行こう」と言ったとき、私は喜んだ」(詩編122:1)
「人々が私に「さあ、主の家に行こう」と言ったとき、私は喜んだ」(詩編122:1)
教会から文句を言いながら出て来る 人がいるなら、多分その人自身が問 題だ。私達が祝福を期待して礼拝に 集いたいのなら、なすべき心の備え がある。それは神が自分に語って下 さっている御言葉を聞きたいという 心の態度だ。主よ、お語り下さい。 しもべ聞きますとのへりくだった態 度があれば、神は必ず牧師を通して あなたに語って下さる。そして、心 満たされて教会から出て来る事だろ う。しかし、義務感で教会へ行き、 求めもなく、批判的態度なら、あな たは必ず手ぶらで帰るはめになる。 神の家は賛美と祈りの場だ。そこで あなたの霊をきよい思いで満たし、 神の前にひれ伏せ。霊的に養われた ければ、教会へ行くことだ。それも 単なる義務感でなく、御言葉を慕い 求める心を持って。必ず神はあなた に御言葉を与えられる。その御言葉 はあなたの血となり、肉となり、あ なたを培う。御言葉をしっかり求め て教会へ行け。