2009年05月04日(月)

「ほうっておきなさい。彼にのろわせなさい。主が彼に命じられたのだから・・主は、きょうののろいに代えて、私にしあわせを報いてくださるだろう」Uサムエル16:12



シムイという男がダビデとすべての家来たちに向かって、石を投げつけ、呪いの言葉を吐いた。「出て行け、出て行け」とウリヤ殺害の罪を罵倒した。

「血まみれの男、よこしまな者、主がサウルの家の血をおまえに報いた」と、盛んに呪った。「首をはねさせて下さい」という部下に、「主が命じられたのだから、彼に呪わせよ。放っておけ」とダビデは部下に報復を許さなかった。

神からの懲らしめ、訓練と受け取り、甘んじて受けた。
「私の子さえ、私の命を狙っている。この者としてはなおさらだ」、シムイどころか、実子のアブシャロムさえ自分に敵対している。

それゆえシムイの呪いも、神から出たものと受け取った。
信仰に立った、何とへりくだった、心と態度だろう。
「主は私の心をご覧になり、今日の呪いに代えて、幸せを報いて下さる」。

ダビデから大きく学ぶ事ができる。どのような悲惨な状況の中でも、状況を変えようと、もがくのでなく、神の前に正しい心で、神のお心に適った心でいるなら、
それをも主が良い事への計らいとして下さる。

ヨセフの「あなたがたは、私に悪を計ったが、神はそれを良いことのための計らい」とされた通りだ。相手の悪意すらも、あなたのために祝福と変えられる。

神の御前に正しい心で、神を見上げてとどまっていよう。神が報いて下さるしあわせを、必ず見ることになる。
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喜びであっても、苦しみであっても、前から来るものは全て神様からのものだ。懲らしめ、訓練も、へりくだって受け取り、御心は何かに焦点を当てていこう。神様の恵みは、いつもともにある。