2010年01月04日(月)

「ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです」ヘブル10:35


私たち誰もが、大変苦手な事の一つが「待つ」事ではないだろうか。すぐ目に見える結果が欲しくて、すぐに手にしたくて、見たくて、なかなか待てない。待つことは難しい。

神からの祈りの答えを、よく信号に例えられる。青=はい、赤=いいえ、黄=待ちなさい、だ。青のゴーサインなら、確信持って前に進んで行ける。いろんな障害があったとしても、主が共におられるなら、信仰もって歩める。

又、赤のストップは、ノーの答えであり、その道は与えられていないとわかる。ノーが御心だ。自分の思いとどんなに違っても、神の御心は最善なので、受け入れて、それはそれで従って行ける。

しかし、黄色の「待て」は難しい。すぐでないのはわかるが、いつまで待つのか?待機がいつまで続くのか?待つ時間は、長く感じられる。このまま永久に待つのでは、と思えたりする。

ヨセフも待った。将来の祝福を告げられていたが、エジプトに売られるは、主人の妻により無実の罪で囚人となるは、献酌官長には忘れ去られるは、一体どうなっているのか?しかし、やがて、「神の時」が来た時に、ヨセフは牢から出され、総理大臣と任命され、一族の救いのために用いられた。

「神の時」は一分も違う事がない。時は神の御手の中に握られている。時を神に任せて待とう。
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約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐だと教えられている。待てとの導きがあるのなら確信を決して投げ捨てず待ち続けよう。待たされている時にも意味があり神様は共におられる。