2010年04月03日(土)

「ここにはパンが、五つと魚が二匹よりほかありません・・それを、ここに持って来なさい」マタイ14:17



私たちの手にあるものは、5つのパンと2匹の魚であり、極めて小さなものだ。
しかし、手にあるものがどんなに小さくても、無きに等しいようなものでも、主
の御手に握られて、神の栄光を現わすものへと変えられる。

こんな微力が、こんな小さなものが、何になろうかと思ってはならない。その小
さなものを受け止め、主が主のお役に立つものとして下さる。又、主はご自身で
配られたのではなく、「弟子たちに渡しては配らせ」と、5つのパンと2匹の魚
を祝福して裂かれ、それを弟子たちの手に渡された。

弟子たちが人々にそれらを配って回った。主が大きなみわざをされたが、実際に
配って働いたのは弟子たちだった。主は弟子たちにその働きを任せられた。人々
に糧を届けるために、私たちをも用いて下さる。

こんな微力な者をも、主が用い、主がみわざをされ、人々に与える者として下さ
る。自らの知恵、資質、力でなく、人々に与えるものを、主が与えて下さるとい
うことだ。

手元に5つのパンと2匹の魚しかなくても、主にお献げする時に、主が働かれ、
人々を満腹させられる。手持ちがどれだけかは関係無い。人々の祝福のために、
祝福の器として用いられるとは、どんなに嬉しい事だろう。そのために、主のも
とへ自分自身を、持てるものを携えよう。

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手持ちが、小さければ、小さいほど、主の栄光が、より大きく現れる。何と感謝
な事だろう。問題は、それが主の御手の中にあるかどうかだけだ。自分の手にあ
るなら、微少のままで終わってしまう。小さなものを主にお献げしよう。