2010年07月01日(木)

「窮した者の祈りを顧み、彼らの祈りをないがしろにされなかったからです」詩編102:17             

ある人が、自分には全く悪気なく、ちょっとした言葉が友人を深く傷つけてしま
った。ただひたすら祈った。友人の心が癒されることと、赦して貰えて和解でき
ることを。

その友には成育歴の中に、拒絶を受けた傷があり、そのトラウマのゆえであった。
心のことであり、人間にどうこうできることでなく、その事を、主の御前に祈り
に置き、切に祈り続けた。

自分にはどうにもできず、ただ主のあわれみを、一心に願い続けていた時、「神
に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです」と、祈りが聞き届けられ
た確信が来た。心がすうっーと、平安になった。

それで勇気を出して相手に会いに行った。心から謝った時に、相手の心も落ち着
いていて、快く赦してもらえ、和解でき、主の御名を崇め、感謝した。祈ってい
た間に、主は相手にも働いておられ、相手の心にも変化が起きていた。

ハンナも切に主の御前で祈った。子供が欲しくて、うめき、心を注ぎ出して祈っ
た。「もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つ
ける」。主は、私たちが、心を注ぎ出した、切なる祈りを待っておられる。

「ハンナの顔はもはや以前のようではなかった」ハンナは平安を得るまで祈り続
けた。そんなしつこい祈りを、主は喜ばれ祝福して下さる。目の前の問題を思い
煩っていないで、主に、祈りに、持って行こう。

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難題を、主に心底拠りすがり、祈りに祈り、祈りの中で委ねた時に、すうっーと
心がなぎになり、全き平安になる。そして、その後、事が解決する。こんな事を
経験する。窮した時の拠り頼んだ祈りを顧みて下さる。自分で持っていないで主
のもとに渡そう。