2010年10月03日(日)

「ほうっておきなさい。彼にのろわせなさい。主が彼に命じられたのだから・・主は、きょうののろいに代えて、私にしあわせを報いてくださるだろう」Uサムエル16:12

シムイという男がダビデに石を投げ、ダビデを呪い、ウリヤ殺害の罪を罵倒した。
「血まみれの男、よこしまな者」と。「首をはねさせて下さい」という部下に、
主が命じられたのだから、放っておけと、ダビデは報復を許さなかった。

神からの懲らしめ、神からの訓練と受け止め、甘んじて受け入れたのだ。「私の
身から出た私の子さえ、私の命を狙っている」、シムイどころか、今や実子のア
ブシャロムすら自分に敵対している。それゆえシムイの呪いも、神から出たもの
と受け取っている。

何とへりくだった心と態度だろう。信仰に生きていたことだろう。「今日の呪い
に代えて、幸せを報いて下さる」、どのような悲惨な状況の中でも、状況を変え
ようともがくのでなく、神の前に、正しい心で、神に適った心でいるなら、それ
をも主が良い事のために計って下さる。

ヨセフの「あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを良いことのための
計らい」とされた通りだ。相手の悪意すらも、あなたのために益として祝福と変
えて下さる。

あなたの目の前のその事態を「神がされた」「神から出ている」と受け取る時、
誰もあなたを損なう者はない。誰もあなたを害する事は出来ない。あなたはキリ
ストのかたちへと変えられつつ、成長して行くばかりだ。

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目の前の状況を見て、状況に振り回されるのでなく、神を見て、神に焦点を合わ
せる時、神のお心がわかり、どのような状況の中でも平安にされる。対人関係の
問題も、神から出ていると受け取り、受け入れる時に、御霊の平安が臨む。