2011年03月04日(金)

「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして・・」ピリピ2:6

            
アダムとエバがエデンの園で罪を選択して以来、人はプライドで生きている。男
性は自分の仕事や地位に高いプライドを持ち、母親は子供に自分の夢を託し、子
供により自分のプライドを満たそうとする。様々な対人関係で、プライドとプラ
イドが衝突し、火花を散らし、争い、怒りや憎しみが湧き上がる。ある婦人はお
節介な隣人にいら立っていた。余りに立ち入って来るので、腹が立ち、争いそう
になった時に、主に祈った。

祈りの中で、主のへりくだりを示された。自らを省みる時、こちらにも悪い態度
があった。そして、相手から確かに助けも受けていた。それで、自らの態度を詫
びて、日頃の助けを感謝した。すると相手の態度が変わり、柔らかくなった。
良い交流ができ、そうこうしていると、悩みを打ち明けられ驚いた。御霊に従う
事の祝福を経験した。

プライドに生きると、決して心休まる時が無い。パリサイ人は徹底してプライド
に生きた人達だ。彼らの立派な行ないの動機は、愛ではなくプライドだった。
プライドでも立派な行ないが出来る。主はプライドとは無縁で、徹底して愛に生
きられた。様々な事態やトラブルが起きる。その中でプライドが砕かれ、へりく
だらされる。今、問題があるなら、そこにもプライドが潜んでいるだろうか。あ
るがままを、主に申し上げよう。取り扱って下さり、平安に、自由にして下さる。
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プライドで動くならいつも一番でなければならい。視点を自分と人から主に向け
よう。主に似るように謙遜を与えられるように祈り、力も知恵も愛も全て神様か
ら受けて行こう。