2011年04月03日(日) 「そこに婚礼の礼服を着ていない者がひとりいた」マタイ22:11
「そこに婚礼の礼服を着ていない者がひとりいた」マタイ22:11
主は、天の御国をたとえで話された。王子のために結婚披露宴を設けた王は、神 のことだ。神はしもべを遣わし、招待しておいた客を呼びにやるが、彼らは来な かった。 畑に商売にと、自分のしたい事があり、そちらを優先し選択した。それだけでな く、神が遣わしたしもべ達を殺してしまった。何という事だろう。神の愛を踏み にじり、恵みを退けてしまう。 招待客に拒絶された神は、次にしもべを大通りに遣わし、出会った者を誰でも皆、 招いた。そのため、披露宴には大勢の人が集まった。通りで会った人、誰でも招 くので、老人も、若者も、取税人も、遊女も、貧しい人も、金持ちも、ホームレ スも、身体不調の人も、酔っ払いも、誰でも彼でも、「良い人も悪い人でも」皆、 招かれた。ユニークな披露宴だったろう。 その中に礼服を着ていない者が一人いた。この場合、礼服は、入り口で用意され た。大通りで出会う人々であり、礼服など持っていない。その神が備えた礼服を 拒否したという事だ。招待は拒まなかったが、礼服は拒んだ。違った目的で宴会 に来ていた。 礼服とは、御子の十字架の贖いだ。十字架で流された主の血潮は、義の衣として、 私たちに与えられる。「良い人も悪い人も」この義の衣を着る事によって、王の 主催した披露宴に出る事ができる。何かの功績で選ばれたのではない。義の衣を 着る=キリストを信じる人が、罪赦され、素晴らしい喜びと光栄の宴会にあずか る。 ・・・・・・・・・・・・・・ 神が無償で与えて下さる礼服を、拒否していないだろうか。自分の服の方が良い、 自分の服で大丈夫と。「さあ、食事の用意ができた。何もかも整った」と救いも 良い行ないも、主が与えて下さる。すべての良い贈り物は上から来る。受け取ろ う。