2011年06月03日(金)

「こうして、アブラハムは、忍耐の末に、約束のものを得ました」ヘブル6:15


アブラハムは、主に見せられ、子孫が天の星のようになるとの、約束を信じていた。しかし、その約束は、なかなか実現しない。その当時は、夫婦に子供が無い場合は、召使いに子供を産ませその子を跡継ぎにすることが、普通であった。それで、幾ら待っても子供ができない中、この慣習にならい、サラが提案した。主が産めないようにしておられるのだから、女奴隷によって子供を持つようにと。

アブラムは自分の提案でなく、サラの申し出という事であり、女奴隷ハガルの所へ入った。しかし、重大な事は、この時アブラハムは祈らず、主の御心を求めなかった。自分の思いで、肉で動いてしまった。肉は一見一番妥当な良い考えに思える。それが最も良いとしか見えなくなる。が、必ずトラブルを引き起こす。

ハガルは、子供のないサラを見下すようになった。ハガルはイシマエルを産んだ。イシマエルはアラブ人の先祖となり、現在のパレスチナ紛争に至っている。アブラハムが肉の判断で、良かれと取った肉の行動は後々まで大きな問題となった。アブラハムが100歳の時に、肉が、人間的力が、完全に絶えた時に、イサクが与えられた。今、あなたの状況はどうだろう。神の約束を待てないで、自分で動き出すなら、イシマエルを産み出してしまう。肉で動かず、神の約束を、尚も主の約束を待ち望もう。
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祈りの答えをどれだけ期待し待っているだろう。苦しい環境から一刻も早く逃げ出したく肉の策に走るより神様の答えがどれほど素晴らしいか。本気で期待しているだろうか。