2011年09月03日(土)

「彼らは黙っていた。道々、だれが一番偉いかと論じ合っていたからである」  マルコ9:34


弟子たちは、主に「何を論じ合っていたのか」と聞かれて、答える事ができなか
った。「誰が一番か」と論じ合っていたからだった。弟子たち12人の中で、比
較し合っていた。自分の価値を決める基準が人であり、他者と比較して、自分の
価値を量り、優劣を決める。つまり、他人との比較が無ければ、自分の価値が量
れない。

神無しの世界では、人の間でしか、量りようがないからだ。つまりは比較の世界
にしか生きられない。弟子たちの間にも、そんな、世の価値観があった。人より
上に立ちたい、上であれば、自分が優っている事になる。そして、競争で負ける
なら、自分は劣っている事になる。より先を行き、上に立ち、勝ちたい。それが
自分の価値になるからだ。これが肉の思いだ。

しかし御言葉は言う「自分たちの間で自分を量ったり、比較しているのは知恵の
ないこと」と。相手に勝つと優越感に浸り、負けるなら劣等感に陥る。人により
自分の価値が左右され、振り回される。生涯この虚しいアップダウンを繰り返し
て、そこに何の平安も喜びも無い。

私たちは、他者ではなく、神によって自分の価値を量る。その神は「あなたは高
価で尊い」と言われる。人がクリスチャンになったから、自分もクリスチャンに
なったのではない。主と自分の関係だけに基づいて信仰が始まった。ここに比較
からの解決があり解放がある。

根深い比較の中にいる自分に気づく事から始まる。そんな自分を認めて、主の助
けを仰ごう。主は助けて下さる。「あなたは、わたしに従いなさい」と言われる
主に目を注ぎ続けよう。

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この世の価値観は「人より上に」「誰が一番か」「自分は何番か」しかし、御言
葉の価値観は「へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい」
だ。へりくだった、一番低い所に主がおられる。へりくだる時、主とひとつだ。