2011年10月04日(火)

「・・鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです」Uコリント3:18


「新生」は一瞬にして起こる。主を信じた瞬間に救われる。しかし、聖化は時間をかけて少しづつ変えられる。天国に行くまで、御子のかたちへと日々に変えられて行く。ピアノを弾けない人が、地道に練習を積む事によって弾けるようになる。そのように、霊的生活もアップダウンはあるが、しかし、アップダウンしながら、栄光から栄光へと、主のように変えられて行くのは、御言葉の約束だ。

振り返る時、確かに、変えられていないだろうか。不都合な事起こるが、主のご計画があり、万事益だと信じようとしている自分、最善以下はされないお方だから、感謝しようとする自分、色々な面で、確かに変えられている自分を発見する。又、それは、ある朝目覚めると、人を憎んでいた自分が、突然、愛に満ちた自分になっているという事ではない。

そうではなく、プロセスがあり、一歩〃御霊の導きに従う事により変えられて行く。一歩〃従う事が大切だ。ある人はどうしても愛せない相手の事を祈っていた。すると、電話するよう、御霊の促しを感じた。電話すらも嫌で、抵抗していたが、しかし心が苦しくてたまらず、示しに従った。すると重苦しさが消え、平安に包まれた。そして次々と示しに従うと、喜びが来て、良い関係にされた。このように、御霊に従う時に、少しづつ必ず変えて行って下さる。
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肉に従っても決して心の内に平安はないと気づき、争うより和解を祈れるようになった。確かに変えられている。いつも主を思い、御霊の促しを選びながら少しでも変わって行きたい。