2011年12月02日(金)

「イエスは彼らをじっと見て言われた『それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます』」マタイ19:26


主のもとに来た青年が、永遠のいのちを受けるために何をすればよいかと尋ねた。主は、十戒の戒めを守るよう教えられた。しかし、そのような事はみな守っていると答えた。すると主は、持ち物を売り払い、貧しい人に与えよと言われた。そうすれば天に宝を積むことになると。その時、青年は顔を曇らせ悲しんで、主のもとを去った。

十戒を守っていると言うが、守れるはずがない。十戒によって、どれだけ頑張っても守れないという事がわかるのであり、自分の罪深さを知る。それゆえ、律法は、私たちをキリストへ導くための養育係となる。又、もし彼が本当に戒めを守っているなら、「隣人をあなた自身のように愛せよ」に従い、すでに言われる前に貧しい人々に施していた。分け与えるなら、主は更に豊かに与えて下さったであろうに。

私達も手中に堅く握り締めるものによって、主から離れてしまう。私達にとっての富は、お金とは限らず、仕事、愛する人、名誉、地位、人からの賞賛、何か大切なものかも知れない。青年は一つ出来る事があった。それは「私にはできません」と主に助けを求める事であった。

人には出来ないが、主にはどんな事でも出来る。握っているものがあるなら、手放す事ができないと告白し、助けを求めよう。従えるよう助けて下さる。明け渡した時に、真の平安と喜びに満たして下さる。
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こんな事が出来る、あんな事もいつかやれると本当の自分を見ないで、主に頼らず無力な歩みをしていないだろうか。自分では出来ない、握って放せないと主に近づき打ち明けてみよう。主の目に映る自分はどんなだろう。