2012年01月04日(水)

「人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その人の歩みを確かなものにするのは主である」箴言16:9


私たちは、自分の道を思い巡らし、神の御心を探り求めながら、プランを立てる。そして、行き当たりばったり、いい加減にではなく、しっかりと段取りし、計画実現のために行動して行く。それは神の喜ばれることだ。しかし、私たちは、御心を祈り求めて、これが最善と計画を練るが、尚かつ、その背後の主導権は、神にあるということだ。

だから、その計画を神に委ねておれば良い。その歩みを確かにするのは主であるから。自らの歩みを振り返る時、どうだろう。進路について、自分はこの道こそが最善では、と考えるが、時に、全く想定外の道に導かれることがある。ある人は、大学受験において、第一志望が神の御心と思っていたが、思いに反し、その門は閉ざされ、第二志望に合格した。しかし、そこで素晴らしい信仰の友が与えられ、聖書研究会を開き、自らも献身に導かれた。

御言葉の通りだった。自分としは、自分の道を思い巡らしたが、主はその歩みを確かにして導かれた。人間であるので、これぞ御心と思うが、時に御心を間違うこともある。御心と思って進み出した道が、閉ざされることがある。主が主権をもって、軌道修正して下さる。主がどんな時にも、変わらない愛で、愛し、道を示し、歩みを確かなものにして下さる。平安を与え、導いて下さる。
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主に委ね、これが確信と歩んでいてもその途上で様々な出来事に遭遇する。思いも揺らぐがその道を確かなものにされるのは主だ。未だ体をなしてないように見える計画も働きも、背後にいる主に信頼し、今日も目の前の一歩を祈っていこう。