2012年04月03日(火)

「あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦は、その日その日に、十分あります」マタイ6:34


あなたも心配性だろうか。思い煩いに悩まされている人は多い。明日の事、将来の事を、ああなったら、こうなったらと、必ずネガティブに想像して心沈み重くなる。不安材料だけをかき集め、まるで現実かのように、リアルな最悪のシナリオが出来上がる。

しかしあくまでも妄想だ。現実に実際に起きていないのだから、主も、そんな架空のものをどうにも出来ない。自分が思い煩いを選んでいる。明日の事は、先の事は、私達にはいっさいわからない。誰にも何一つわからず、見えない。

しかし、神を信じる私達は、明日に恐怖と不安を見るのでなく、神の愛を見る。明日は、神の愛に包まれ、神のご計画の中にあり、神の御手の中に堅く守られている。その事を心から信じる。見えない明日に、得体の知れない恐れでなく、神を見て、神の慈しみを信じる。これが信仰だ。

神の愛を信じて歩む時に、思い煩いの亡霊に惑わされない。そして、「神の国とその義とをまず第一に求めなさい」神第一を心に据える事だ。自分を後回しにするから秩序が狂い、混乱し、思い煩いが生じる。自分中心にするなら、不安と恐怖で、あらゆる事が思い煩いの種となる。自分で自分を守らねばならないからだ。

神を第一にするなら、心がすっきりする。神が全責任を取って下さり、そこから平安と安堵が来る。あなたの優先順位はどうなっているだろう。明日に、先に、いつも神の愛を信じていよう。
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自分で自分を守る術しか知らない世は、不安で思い煩いに満ちているが、私達は、不安や恐れを祈りに変えられる。主を信じ、自分の想像もおよばない明日が備えられていることを希望をもって待とう。