2012年06月03日(日)

「あなたの神、主が、あなたを良い地に導き入れようとしておられるからであ る」申命記8:7



荒野でのイスラエルを見る時、何と自分勝手で、自己中心なんだろうと思うだろ
うか。出エジプトの時に、絶体絶命の危機に、神の偉大な奇跡を見た。目の前で
海が二つに分かれて、救い出されるなど、後にも先にも何という奇跡だろう。ど
んなに大歓声が上がった事だろう。輝かしい神の力を見た。

しかし、こんな驚異的奇跡を見たすぐ後で、荒野に入った途端、やれ水がない、
食べ物がないと不平不満だ。ついさっき神の力を見ただろうに、何という事だと
イスラエルを見て思うだろうか。しかし、自分自身もまさにこのイスラエルだ。

事が、思い通りに行っている間だけの感謝で、少し状況が厳しくなると、途端に
「何で!何で!」と神を責め、反発する。自分の欲望と思いが王座を占めている
なら、いつまでたっても信仰が成長しない。

自分の感情、思い、欲でなく、主を心の王座に迎え、御言葉に従って生きる事が
大切だ。つまり、自分で人生を、自分の思いで様々な事をコントロールする事を
やめて、主に明け渡す時、良い地へと導き入れられる。

それは、あれが無い、これが無いの不平不満でなく、満ち足りた地だ「満ち足り
る心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です」の通り、何よりも満ち足りる
心が与えられる。環境がどうであれ、心が満足できる。

自分で頑張って、自分の力で種をまき、水をやるのでなくーそれなら辛く苦しい。
良い地は、天の雨で潤っている、神の恵みによって、上から与えられて生きる歩
みだ。

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自分の力で歩む時、重く、しんどい。しかし、御霊に導かれて歩む時、感謝があ
り、喜びがあり、感動がある。心が生き生きとしてくる。自分で種を蒔き、自分
の力で水をやっていたら、そのままのもとへ行き委ねよう。御霊に導かれて行く。