2012年07月04日(水)

「それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい」ヨハネ21:22



人は、心の内では自分に無いものを欲しがっている、と言われている。無いものねだりだ。肉はどうしてもネガティブに傾くので、無いものを意識し、持たないものに目が向いてしまう。あれが無い、これが無い・・。隣の芝生は青々と見え、人は幸せそうで、人を見ると羨ましくて仕方がない。「自分も、誰それのようであれば・・」と。自分とは異なった境遇や、才能や性格を羨んでしまう。

しかし、それなら現在の自分を否定することになる。「〜〜さんのようでない自分」はダメという事になり、そこに平安も、生きる喜びも無い。そうでなく、信仰に立つ時に「すべてのことが神から発し」となり、神が今の境遇に、今の場に、私たち一人一人を遣わされたと受け取って行く。遣わされたのは神だ。

それぞれの人生に神の深いご計画があり、目的がある。運命ではなく、偶然なのではなく、神の御心による。隣の人のようになろうとするのでなく、それぞれ置かれた場所で、主を見上げて、自分に与えられた主の御心を行なって行く、その時に、御霊の喜びを経験する。

他との比較は、培われた根深い、肉の価値観による。比較している時、御霊の気づきが与えられ、目を横から上に移そう。人のようになるために変わる必要はないが、主の似姿へと近づくためには、変えられて行く必要がある。「わたしに従いなさい」主を見上げ、一歩一歩従って行く時に、主のかたちへと変えて下さる。
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主のように変えられるのが私達の使命だ。人からの影響を受けやすいからこそ、主との関わりを強く求めていこう。主から目の前の成すべきことを受け取り、自分だけの一歩を歩もう。