2012年12月04日(火)

「求めなさい。そうすれば受けるのです・・」ヨハネ16:24



「求めよ」と主は言われ、私たちの願いを告げよと、言っておられる。経済的必要、進路のこと、健康のこと、何でも一つ一つ求めて行けば良い。主は、祈りに答えて、豊かに与えて下さる。子どもが魚を欲しいと言う時に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。卵が欲しいと言うのにさそりを与えるだろうか。親は子供に良いものを与える。ましてや、私たちの親である天の父は、与えて下さらないはずがない。

ただ、もし、小さな子供が、料理する母親を見て、自分も包丁が欲しいと願っても、親は決して与えない。愛する子供の願いであっても、危険であったり、益でないなら、親は与えない。それを持つ事により、ますます私たちが高ぶる事になるなら、主は愛ゆえに控えられる。又、すべてに「時」があり、持つにふさわしい時期が来たなら、与えて下さる。何でも自分の願いを、ありのまま求めてよいが、与える、与えないは、主が判断される事だ。

どうであれ、私たちの最善をして下さる。動機の事も言われている。「願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願う」からと。ヤコブとヨハネが、主の栄光の座で、右と左に座らせて欲しいと願った。しかし、他の弟子たちを出し抜いて、自分の栄光、自分の利得のための願いは、答えられなかった。主に求めよう。祈りを軌道修正しながら、導いて下さる。
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求めの答えがノーであっても、また待ち続け、祈り続ける祈りでも神様は私達にわかるように御ちびて下さる。祈りの答えはすべて最善で、答えられない祈りの中の神様のみこころを聞こう。