2013年04月03日(水)

「すべての人は草、その栄光は、みな野の花のようだ」イザヤ40:6


対人関係でギクシャクし、心が辛く苦しくなる事があるだろうか。人からのちょっとした言葉が、ひどく気になり、不安になり、又、面と向かって攻撃されたり、責められる事があるかも知れない。心暗くなり、沈み、立ち上がれなくなってしまう。よく考えてみて、もし自分の側に、落ち度があるなら、悔い改めること、相手に謝ることが必要だ。

しかし、幾ら考えても、自分に落ち度が無いなら、御言葉に目を向けて行こう。心暗くなり、落ち込むのは、自分の中で、人の言葉が第一になって、最も重きを置いているからではないか。神の言葉と人の言葉と、どちらが大切なのだろう。御言葉でなく、人の言葉に振り回されていた事に気づく時、平安が戻る。

御言葉を受け取り、御言葉を握っていよう。御言葉を通して、人からの批判や目の前の状況を見る時に、神視点で人の言葉や状況を見ることができる。心に平安が無いなら、心が辛く苦しいなら、神の言葉を脇に置き、人の言葉のほうを受け入れている。

「すべての人は草・・」人の言葉は草のようだと。草は枯れてしまう。「草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ」。今、心が辛く平安が無かったなら、自分の言葉や人の言葉に目を向けていないだろうか。御言葉に向けよう。心に平安が来る。
-----------
行き詰るのは、いつも人の言葉や目の前の状況にのまれている時だ。御言葉はどう言っているだろう。御言葉に帰り「思い煩うな」と言われれば「はい」と従おう。