2013年05月04日(土)

「・・私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造 られた主から来る」詩篇121:2 

        

都上りの歌となっていて、エルサレムへ巡礼の旅に出る時のものだ。
「山に向かって目を上げる」は、前に立ちはだかる困難な険しい
山々だ。苦難が予想される行く手の山々に、助けがあるのだろうか。
非常に切実だ「私の助けはどこから来るのか」。

エルサレムは遙か彼方であり、山々が行く手を固く遮っているかに
見える。無事に行けるのかもわからない。しかし、巡礼者は、その
時、立ちはだかる山々よりも、更に高い所に目を注いだ。尚もその
上におられる主だ。

祈りが立ち上って来た。「私の助けは、天地を造られた主から来
る」!計り知れない困難はあるが、その山々を造られたのは主だ。
すべての状況も主が御手で治めておられる。「助けは主から来る」、
人からでも、自分からでも無い、助けは主から来る!

私たちも、巡礼の旅をしているようだ。険しい山々があり、荒野が
あり、様々な危険にも遭遇する。今、行く手を阻む困難の山がある
だろうか。それは、突然の病気、けが、経済的苦境、苦しい対人関
係、又、誰にも言えない悩みだろうか。

まさに「私の助けはどこから来るのか?」。「天地を造られた主か
ら来る」。自分の力や人の力、物に頼っているなら、天地の創造主
である主のもとへ行こう。目の前の事態を、まず主に祈ろう。必ず
主から助けが来る。

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目の前の難題も、主の支配の中だ。助けは主から来る。難題を通し
て、いろんな事を学ばせ、砕き、成長へと導いて下さる。何よりも
主に頼ることを培って下さるためだ。主に助けを求めよう。助けが
来る。