2013年06月02日(日) 「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定める者 はなかったのですか・・わたしもあなたを罪に定めない」ヨハネ8: 10
「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定める者 はなかったのですか・・わたしもあなたを罪に定めない」ヨハネ8: 10
当時、姦淫は石打ちの刑であった。律法学者たちは、主のもとに、 姦淫現場で捕えた女性を伴い「律法では石打ちの刑だが、あなたは 何と言われるか」と問うた。しかし、それは正しい事を行なうため でなく「主を告発する理由を得るため」だった。 主が赦せと言われるなら「律法では石打ち刑を命じている」と、罪 に定めよと言われるなら、主の説く愛は、罪の赦しはどうなるのか と問いつめられる。彼らは、この女性に関係無く、ただ、主を告発 する理由を得たかった。 主は何も答えず、指で地面に書いておられた。彼らが問い続けるの で、「罪の無い者が、彼女に石を投げよ」と。罪の無い者とは、罪 を犯した事の無い者だ。主は彼らの想定外の、第3の答えをされ た。彼らは、とがめにより年著者から出て行き、全員去ってしまっ た。 女性は逃げず、動かず、そこにそのままいた。主はその女性に「わ たしもあなたを罪に定めない」と宣言された。女性は死刑の身であ り、もう死を覚悟していただろう。それが、「あなたを罪に定めな い」とは、何という驚くばかりの恵みだろう。主の十字架の犠牲が あればこそであり、罪の無い血潮が流されたゆえだ。 「今からは決して罪を犯してはならない」この驚くべき主の愛、あ われみに触れて、女性は変えられ、新しく歩んで行ける。主は世の 光であり、従う者は決して闇の中を歩まず、いのちの光を持つから だ。 ・・・・・・・・・・・・・ 皆、主の光に照らされた時に、向き合おうとせず、逃げた。しかし 女性は逃げなかった。そのため、主の罪の赦しの宣言を受ける事が できた。私たちも、逃げずに主に向く時、「わたしはあなたを罪に 定めない」との御声を聞き、新たに生きて行ける。