2013年08月04日(日)

「人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心の ゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです」Tペテ ロ2:19



相手から攻撃を受けた時、又、不当な扱いを受けた時、自分を守り、
反撃するのは、この世では普通の事だ。しかし、侮辱を受けても、
穏やかに対応するなら、ののしられても、ののしり返さないなら、
それは主の対応だ。

私達は相手に、そのまま反応するのではない。それなら温度計だ。
相手がヒートアップし、激するなら、こちらも感情的に激し、相手
が冷ややな対応なら、こちらも冷ややかであり、相手が暖かければ、
こちらも暖かく対応する。

相手の温度を、こちらもそのまま正確に表わす。これなら相手にコ
ントロールされている事になり、相手にコントロールされた、相手
次第の人生になる。そして、冷ややかな、又、腹を立てる相手が悪
いことになる。相手が冷ややかなでなければ、自分はそういう反応
はしないと、相手のせいになる。そして自分の悪い態度は認めず、
自分を正当化して行く。

そこに自分が変えられる事も、成長も無い。そうではなく、私たち
は、相手に反応するのではなく、神のみこころを行なうのだ。相手
が親切であれ、冷淡であれ、こちらは親切を表わし続ける。自分の
力ではできない。そんな事は不可能だ。できない事を主の御前に認
めて、主の助けを求める時、主ができるようにして下さる。そこに
超自然の働きがある。

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自分には出来ない。絶えず反応するばかりだ。しかし「人にはでき
ないことが、神にはできる」。自分に出来ないことを認めて、明け
渡して行こう。御霊が導いて下さり、御心を行なえるよう助けて下
さる。