2013年09月02日(月)

「願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです・・世を愛することは神に敵することであることがわからないのですか」ヤコブ4:3


「欲しがっても自分のものにならないと、人殺しをする」とある。「うらやんでも手に入れることができないと、争ったり、戦ったりする」と。つまり、欲しがったり、うらやんだりする事から、争いや戦いが起きている、と言っている。争いが生じる時、私たちは、自分を正当化して、様々な理由や言い訳や弁解をする。しかし、御言葉は、自分の欲望から来ていて、相手をうらやんでいるからだと言う。

自分の欲しくてたまらないものを相手が持っている。相手の才能、地位、人気、境遇・・自分が欲しくても手に入れることができないものだと。そして、それを羨み、妬むのは、主に祈り、願い、主に向くのでなく、自分の力で手に入れようとしているからだと。

「あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないから」だと告げている。自分で、どうこうしようと考えるばかりで、神が抜け落ちている。私たちはどうだろう。自分で手に入れようとしないで、ことごとく神に祈れと言われている。心に妬みや敵対心、争いの思いがあるなら、よく心を調べてみよう。

又、願っても受けられないなら、「自分の快楽のために使おうと、悪い動機で願うから」と。自分は祈っているのに、聞かれてないというなら、動機が間違っているかも知れない。間違った動機とは、実は心密かに世を愛している事による。心を御霊に点検して頂こう。きよめて、御心にかなう者へ、御心の祈りへと軌道修正して導いて下さる。
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神に祈り求めないでしてしまう事の中に、祈れない動機が心をしめている事がある。祈らずに、また祈れずにやってしまう。まず、先だって祈り、御心をなして下さいの態度で動き始めたい。