2013年11月03日(日)

「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの 主キリスト・イエスによる永遠のいのちです」ローマ6:23 



アダムとエバは、神から食べるなと命じられた善悪を知る木の実を
食べた。すると、蛇が「あなたがたの目が開け・・」と言った通りに、
彼らの目は開かれた。しかし、目が開かれて見たものは自分達の裸
であった。それも以前はずっと裸でいて、どうも無かったのに、そ
の裸が恥ずべきものとなった。そのため、いちじくの葉で腰をおお
わねばならなかった。

エバはアダムの助け手であり、彼らの助け合う信頼関係は、壊れて
しまった。互いに非難し、責任転嫁し合う関係になってしまった。
更に、神の声を聞いて「恐れて、隠れた」とあり、神が恐怖の対象
になった。恐いので、隠れる事になる。

善悪を知る木の実を食べた結果、神を恐れるようになり、夫婦は互
いに信頼する事ができず、自分をあるがまま、本当の姿を出せなく
なってしまった。霊的な死により、神との関係が遮断された結果、
人からの愛を求めるようになり、人に良く見られたい、人の賞賛、
人からの評価を気にして生きるようになった。

弱さは恥であり、決して見せてはならないものとなった。あるがま
まの姿ではおれず、人前を繕い、強く見せかけ、又、自分で自分に
付加価値をつけて行く、辛い生き方となった。
主の十字架はそこから救い出し、無条件で愛されている事、弱さこ
そが恵みであり、神の力が現される強みである事、全く新しい価値
観へと変えてくれる。

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罪は、神と隔たりを作り、平安を奪ってしまう。しかし、悔い改め
る時、罪は犯したが、赦されて無罪放免とされて、そして心に平安
が戻る。主が与えて下さるのは、付加価値が全く必要のない、安堵
に満ちた幸せな生涯だ。