2014年02月01日(土)

「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみ ことばによるのです」ローマ10:17 



よく聞く例えがある。「事実」「信仰」「経験」の3つが城壁の上
を歩いていた。先頭に「事実」その後ろを「信仰」その後ろを「経
験」が歩いていた。「事実」は、後ろを振り返ることなく真っ直ぐ
に歩いた。「信仰」は前を行く「事実」だけを見るなら、問題
無くどんどん進めた。そして後ろの「経験」も順調について来た。

ところが「信仰」が前の「事実」から目を離し、後ろの「経験」が
気になり振り返った途端、城壁から転落し、「経験」もろとも、落
ちてしまった。そして「事実」だけは一向に関係なく進んで行った。
信仰生活の正しい順序は「事実・御言葉」「信仰」「経験・感覚」
だ。

経験や感情はあくまでも、御言葉と信仰の後について来るものだ。
よくこの順序を逆にする。「感覚」を先頭に、次が「信仰」最後が
「御言葉」だ。すると迷路に迷い込む。感情に振り回され、霊的ア
ップダウンを繰り返す。

「主に愛されている感じがしない」「主が目に留めていて下さる感
じがしない」「心配などして下さっていると感じない」。感じない
ので、愛されていること、心配して下さっていることを疑う。主が
共におられると「感じ」ないから、共におられる事が「信じ」られ
ない。

そうでなく、感じようと感じまいと、御言葉を真実、事実として行
く時、不思議に感情がついて来る。「感じ」が先になっていないな
いだろうか。

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どうしても「愛されている感じ」「心温かい感覚」を求めてしまう
が、信仰とは、何もいっさい見えずとも、全く感じずとも、御言葉
を信じて行くことだ。目に見えたなら信仰は要らない。感情に振り
回されず、まず御言葉を真実と心に定めて行こう。